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小野寺 信一
No.2の衝撃は何かと問われれば
これまで生きてきた中での一番の衝撃は何かと問われれば、「東日本大震災の津波と福島第一原発の事故」と回答することになる。2011年(平成23年)3月15日の「福島第一原発4号炉冷却困難」の報道を見て、家族を秋田に避難させ、秋田から実家のある気仙沼にタクシーで向かった。絨毯爆撃を受けたかのような気仙沼市南町の風景がそれである。
ではその次は何かと問われれば、昭和45年11月25日、自衛隊に乱入し、割腹自殺した三島由紀夫を挙げる。
その日のことは今でも鮮明に記憶している。大学4年から司法試験の勉強を始めた私は、遅れを取り戻すため、卒業後も在校生に紛れて授業に出ていた。
11月25日の午後、商法の酒巻教授の授業に出ていたところに、サークルの友人が飛び込んできた。
「すぐに第2学生会館のテレビのところに来い」
第2学生会館のテレビの下では多くの学生がテレビを見上げていた。
「三島由紀夫、自衛隊に乱入。割腹自殺」
学生との討論
その2年前、三島は早稲田に来て、学生との討論に臨んだ。黒の半袖のシャツを着てボディービルで鍛えた上腕を自慢しながら「国家は(快楽殺人などの)人間性から人間を守る保護観察機構」と語った。強烈な思い出として残った。
私も彼に質問したが、すぐ前に質問した私の友人の方が的を射ていた。
「先生は夭折の美学を説いておられますが、いつ死ぬのですか」
「世間の名誉に汚れて年を取っていく自分を想像したくない。西郷隆盛は49歳で亡くなった。羨ましい。チャンスがなかった」
と回答し、学生の笑いを誘った。
2年後の割腹自殺を想定しているとは思えない上機嫌な回答であった。彼が設立した民間防護組織「盾の会」の仲間、森田必勝が11月25日に一緒に死んでくれたことがチャンスであったのであろうか。
流麗な文体
何よりも惹きつけられたのは、三島の流麗な文体である。1950年7月2日に実際に起こった(僧侶による)金閣放火事件に材を取った作品「金閣寺」は代表作の1つである。
空襲で自分も金閣寺と共に消滅すると確信した時に現れる金閣を
「私を焼き亡ぼす火は金閣をも焼き亡ぼすだろうという考えは、私をほとんど酔わせたのである。同じ禍い、同じ不吉な火の運命の下で、金閣と私の住む世界は同一の次元に属することになった。私の脆い醜い肉体と同じく、金閣は硬いながら、燃えやすい炭素の肉体を持っていた。そう思うと、時あって、逃走する賊が高貴な宝石を嚥み込んで隠匿するように、私の肉のなか、私の組織のなかに、金閣を隠し持って逃げのびることもできるような気がした」。
女性と結ばれようとした時、それを邪魔するかのように現れる金閣を
「威厳にみちた、憂鬱な繊細な建築。剥げた金箔をそこかしこに残した豪奢な亡骸のような建築。近いと思えば遠く、親しくもあり隔たってもいる不可解な距離に、いつも澄明に浮かんでいるあの金閣が現れたのである。それは私と、私の志す人生との間に立ちはだかり、はじめは微細画のように小さかったものが、みるみる大きくなり、あの巧緻な模型のなかにほとんど世界を包む巨大な金閣の照応が見られたように、それは私をかこむ世界の隅々までも埋め、この世界の寸法のきっちりと充たすものになった。」
放火する直前の金閣を
「金閣は雨夜の闇におぼめいており、その輪郭は定かではなかった。それは黒々と、まるで夜がそこに結晶しているかのように立っていた。瞳を凝らして見ると、三階の究竟頂にいたってにわかに細まるその構造や、法水院と潮音洞の細身も柱の林も辛うじて見えた。」
と表現している。金閣をこのように表現する人がいることに舌を巻いた。それだけに11月25日はショックだった。
体質の違い
その才能に感嘆しつつ他の作品を読み進むにつれ、体質の違いに気付くようになった。体質の違いに驚き、怖い物見たさで読み進めたと言った方が適切かもしれない。
女性に興奮しない
最も大きな違いは(三島が)女性に興奮しないということである。女性に惹きつけられ、振り回され、のたうちまわった自分の青春時代を引き合いに出すまでもない。
代表作の一つである処女作「仮面の告白」が出版されたのは1949年(昭和24年)。恋人の園子と接吻しても興奮せず、性的嗜好が同性に向いていることを悟る場面が出てくる。この時代にそれを明らかにする勇気には驚くしかない。自分に嘘をつかないのである。最後の作品「豊穣の海」の第1巻「春の雪」で主人公・松枝清顕が、恋人・綾倉聡子と接吻する場面でも
「彼は片手を聡子の背から外し、彼女の顎をしっかりとつかんだ。顎は清顕の指のなかに小さな象牙の駒のやうに納まった。涙に濡れたまま、美しい鼻翼は羽搏いてゐた。そして清顕は、したたかに唇を重ねることができた。」
「その手は清顕の頰を押し戻さうとし、その唇は押し戾される清顕の唇から離れなかった。濡れた唇が彼女の拒みの餘波で左右に動き、清顕の唇はその絶妙のなめらかさに醉うた。それによって、堅固な世界は、紅茶に涵されたー顆の角砂糖のやうに融けてしまった。そこから果てしれぬ甘美と融解がはじまった。」
と書いているだけで、主人公の興奮が(読者に)全く伝わってこない。解剖学の教科書のようだと評されていた。男性目線での表現ができないのである。自分にうそをつかない姿勢は最後まで変わらなかった。
認識の虚無
「豊饒の海」は割腹自殺した11月25日が擱筆日であった。主題は「輪廻転生」。第1巻の「春の雪」の主人公(松枝清顕)が第2巻、第3巻、第4巻で生まれ変わり、友人の本多繁邦がそれを見届けるという構成になっている。しかし、その結末部分には驚くべきことが書いてあった。清顕を愛し、妊娠(密かに堕胎)までした聡子が、清顕は存在しなかったと(本多に)語るのである。そして第4巻(天人五衰)は以下のような本多の独白で終わる。
「これと云って奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を操るような蝉の声がここを領している。そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。・・・」
「輪廻転生」を見届けてきた友人・本多繁邦は、三島本人である。認識を頼りに「輪廻転生」を見届けてきたが、認識は生きる喜びをもたらしてくれなかった。「豊穣の海」は月面に由来する。乾き荒れ果てた月面と「豊饒の海」の結末の虚無はピッタリ符号する。認識を頼りにするという点でも自分とは大きく異なっている。
意識しての行動とリアリティーからの疎外
認識者、表現者(小説家)として名を馳せ、結婚して異性愛者の外見を整えることに成功しても、それらは生きる喜びの根源であるリアリティーを与えることはなかった。自らの長所を「約束墨守」と語り、礼儀正しい。しかし、意識してのそれである。
五社英雄監督による映画「人斬り」に、三島はビー玉のような目をぐりぐりさせながら、薩摩藩士・田中新兵衛の役で出ている。意識が邪魔して役になりきれず、監督が苦労したという話を何かで読んだことがある。ボディービルで体を鍛えることも(好きだからではなく)虚弱な体質を変えるための意識しての努力である。意識しての行動も自分とは大きく異なっている。
リアリティーから阻まれたもう一つの原因がある。豊かな想像力が裏目に出て、色褪せた現実が後からトボトボ到着するのである。「仮面の告白」でそれを認めている。
リアリティーとは何か。免疫学者の多田富雄は随想集「独酌余滴」の中で「迷惑をかけたり、かけられたりしながら、濃厚で味わい深い人間関係が作られてきたのだ。」と述べる(朝日新聞・令和6年5月17日朝刊-折々のことば)。
濃厚で味わい深い人間関係は認識を深めるだけでは、意識しての努力だけでは達成できない。「約束墨守」と礼儀正しさも迷惑をかけたり、かけられたりすることを逆に阻んでいる。濃厚で味わい深い人間関係ためには、自然に打ち解けることが必要である。普通の人が支障なくできることが、三島には難事であったのである。飛び抜けた才能の代償である。
濃厚で味わい深い人間関係(リアリティー)から阻まれた自らを市ヶ谷の自衛隊で破壊したのが、昭和45年11月25日である。私はそのように解釈している。
大船渡線
それから何日かして、気仙沼に戻るため、一関からの大船渡線に乗った。周りで喋っている方言を聞いているうちに、三島のショックが柔らいでいることに気付いた。何から何まで違う三島のことでショックを受ける必要はなく、自分はこちらの一員であるという安心感がそれをもたらしてくれた。
以上