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弁護士手帳
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小野寺信一・畠山裕太の想いを綴ります。
2021/10/05
小野寺

【仙台弁護士会会報No.541(2021年8月)掲載】「ピュシスと格闘した夏目漱石」

小野寺 信一

臨床法学と二輪馬車
 斉藤睦男会員の「臨床法学試論」が会報に好評連載中である。
 ADR委員会が当初から掲げた目標「質の向上による量の拡大」の「質=納得」を追求したものである。
 現実の法的紛争は二輪馬車によって解決されている。
 
 ①左側の車輪は法的知識と解決の経験。背後には社会規範が控えている。
 ②右側の車輪は当事者と弁護士の人間関係
 
 二輪馬車の手綱を常時握っている私達ではあるが,左側の車輪ほどには右側の車輪の役割を理解しているとは言い難い。右側の車輪の究明が私の解釈するところの臨床法学である。

右側の車輪の本質はピュシス
 右側の車輪,つまり弁護士と当事者の人間関係の本質は何か,左側の車輪との違いは何か。
 左側の車輪が矛盾のない整合性の世界(ロゴス)であるのに対し,右側の車輪は「自然」(ギリシャ語で「ピュシス」と呼ぶ)であり,矛盾と,それにもかかわらず調和していること(その同居)が特徴である。
 斉藤睦男会員の「臨床法学試論」の「量子力学の登場」 (第3回35頁),「動的平衡と共時性」(第3回37頁)は,いずれも「ピュシス」の特徴を紹介するものである。当事者の過去と将来は言うまでもなく,
 「ピュシス」である。弁護士も矛盾に満ちた「ピュシス」の一部である。人間関係を通じてそれが掛け合わされる訳であるから,右側の車輪から何が出てくるか予め予想できない。
 「ピュシス」を「生命」と言い換えても差し支えない。生命の本質について福岡伸一氏は以下のように説明している。

 「難しい言葉でいえば,エントロピー(乱雑さ)増大の法則に絶えず抗している存在であるということ。なぜ生命にはそれができるのか。私の答えはこうだ。無秩序の増大に先回りして積極的に自分を分解し,そのことによって生み出される時間的余裕を使って新しい秩序を再構築しているから。ゆえに,生命の最も核心的な特性は自己破壊ということになる。」[1]

 絶えず自己破壊を繰り返している訳であるから,「ピュシス」に矛盾はつきものである。それによって生命は恒常性を保っているのであるから,矛盾はしているものの最終的には調和している。

ピュシスと格闘した漱石
 親の金でふらふら暮らす小説『それから』の主人公・代助は,再会した友人・平岡の困窮した生活を助けようと奔走するうち,その妻三千代に抱いていた恋心を思い出す。三千代はかつて代助が平岡に譲った女である。それを奪い返す時,代助は次のように言う。

「矛盾かもしれない。」「世間の掟と定めてある夫婦関係と,自然の事実として成り上がつた夫婦関係とが一致しなかつたと云う矛盾なのだから仕方がない。」

 社会規範に従った男女(夫婦)関係を無視し,ピュシスとしての男女関係を優先したその後を描いた小説『門』には,そこまでして人妻を奪った喜びを見出すことができない。特別な過去を背負わされて生きている『門』の主人公・宗助は,いつまでも罪の意識に追いかけられ,遂にはそこから逃れ出たいために鎌倉へ出かけて参禅(さんぜん)までするが,心の平和を取り戻すことができない。
 友人Kを裏切って下宿のお嬢さんを奪った「先生」が自己呵責に苦しむ小説『こころ』も,お嬢さんとの結婚生活は救済とはほど遠く,遂には自殺の途を選ぶ。
 それは
 
「漱石が愛を重要視し,愛なしには人生は無意味であるとまで考えていたにもかかわらず,愛ほど私の伴いやすいものはなく,愛ほど人間を非人間的に,動物的に,醜くするものはなく,またその意味で愛ほど人間を人間らしく生きしめる上に,必要であるとともに,邪魔になるものはないと考えていたからである」 [2]

 男女関係=「ピュシス」の矛盾と格闘し,調和(救済)の前でたじろぐ漱石に,ピュシスはその断面を鮮やかに見せつける。
 小説『それから』の代助は,三千代に愛を告白しつつ,親からの経済的援助を打ち切られる不安,三千代の夫・平岡がこのことを気付いているのかどうかの不安を口にする。三千代の態度ははっきりしている。

「(平岡は)気が付いているかも知れません。けれども私もう度胸を据えているから大丈夫なのよ。だって何時殺されたって好いんですもの」 「漂泊でも好いわ。死ねと仰しゃれば死ぬわ」

 小説『行人』では,妻(直)と弟(二郎)との関係を疑っている兄(一郎)が,それをはっきりさせるため,「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊って呉れれば好いんだ」と弟に頼むが,弟は兄の依頼を断りつつ,結局,暴風雨のため和歌の浦で嫂(あによめ)と2人で一泊せざるを得なかった。

「あら本当よ二郎さん。妾(あたし)死ぬなら首を縊(くく)ったり咽喉を突いたり,そんな小刀細工をするのは嫌(きらい)よ。大水に攫(さら)われるとか,雷火に打たれるとか,猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」
「妾(あたし)の方が貴方よりどの位落ち付いているか知れやしない。大抵の男は意気地なしね,いざとなると」


 何時でも覚悟が出来ているという嫂(あによめ)に,二郎はおろおろしたまま何事もなくその夜を過ごした。二郎の以下の述懐は漱石の女性観を表している。

「嫂(あによめ)は何処からどう押しても押し様のない女であった。此方(こっち)が積極的に進むとまるで暖簾の様に抵抗(たわい)がなかった。仕方なしに此方が引き込むと,突然変な所へ強い力を見せた。その力の中(うち)には到(と)底(て)も寄り付けそうにない恐ろしいものもあった。又はこれなら相手に出来るから進もうかと思って,まだ進みかねている中に,弗(ふっ)と消えてしまうのもあった。自分は彼女と話している間始終彼女から翻弄されつつある様な心持がした。不思議な事に,その翻弄される心持が,自分に取て不愉快であるべき筈だのに,却(かえっ)て愉快でならなかった。」

 社会規範との矛盾を覚悟し,それを乗り越え,その先に救い(調和)を見出した体験が漱石にはなかったのである。

『海鳴り』の救済
 ピュシスの矛盾に翻弄され,調和=救済を見つけることができなかった漱石に対し,藤沢周平の小説『海鳴り』はその先にある救済を掴んでいる。
 すでに老いを感じている四十六歳の紙問屋の主人・新兵衛は「見えて来た老いと死に,いくらかうろたえ」「し残したことがある」とも思って,女中だった女を一時囲うようなこともするが,妻は新兵衛を許さず,息子ともうまくいっていない。そのような状況の中で人妻おこうと知り合い,結ばれることになる。結ばれた時の新兵衛の心境には予想と違ったものがあった。

「半刻(一時間)のあと,二人は嵐に打ち倒された,よるべない二匹の獣のように,寄りそって横たわっていた。新兵衛は仰向いたまま,身じろぎもせず天井を見ている。おこうと結ばれたあとに来るかも知れないと思われた,後悔も恐怖も訪れては来なかった。新兵衛の胸は,むしろ不思議な平安に満たされている。新兵衛はゆっくり息をした。」
「どうなるのか,新兵衛にも定かにはわからなかった。だが,新兵衛はいま,必ずしも暗い行先きだけを見ているのではなかった。それとは逆に,おこうと結ばれる前には考えもしなかった,かすかなのぞみのようなものが行手に現れたのを,新兵衛はじっと見つめている。見えているのは,いま二人がいる部屋を満たしている光のように,ぼんやりとして心細いものだったが,少なくとも暗黒ではなかった。やはり光だった。そう思うのは,このひととあますところなく完璧に結ばれたせいだろうか,と新兵衛は思った。」


 江戸時代のダブル不倫であるから,当然のことながら多くの困難が予想される。

「おこうはおこうで,新兵衛は新兵衛で,それぞれに容易に切りはなせない世のしがらみにつながれていた。たとえば隠居するなどと言っても,跡つぎの幸助がいまの有様では,それはいつのことやらわからず,ひょっとしたら死ぬ間ぎわまで、商いから手をひくことなど出来ないかも知れなかった。
おこうの方だって,事情は単純ではないはずだった。よそに出来た子供を育てろと,冷酷なことを押しつけたからと言って,その丸子屋がおこうが持ち出す離縁話を受けいれるとは限らないのである。世間体をはばかる大店の神経が,尋常のものではないことを新兵衛はよく承知している。
現実の方が暗黒だった。救いがたく索漠としていた。だからこそ新兵衛は,生涯の行手にかすかに姿を見せたものに,のぞみをかけないではいられないのかも知れなかった。新兵衛は,強くおこうの手を握りしめた。
「それなら,世間を欺き通すだけですよ」
新兵衛は,おこうの耳に口を寄せて力強くささやいた。」


理路を絶したものに苦しんだ漱石
 漱石は「自分の中の理路を絶したものの跳梁に苦しんだ」  ロゴス(理路)ではどうにもならないものの跳梁こそ「ピュシス」である。

 『海鳴り』の主人公・新兵衛のように(不倫関係につきものの)矛盾・撞着を引き受け,世間を欺き通してでもその先にある調和(救済)をつかもうとするふてぶてしさが,漱石には欠けていた。小説『門』では主人公は宗教に,小説『行人』の兄・一郎は狂気に,小説『こころ』の「先生」は自殺という「ピュシス」の調和と相容れない結果に導くことになる。

 なぜそうなのか。漱石の場合,卓越したロゴスに比べて,ピュシス専用の回路が十分に機能しなかったのである。ピュシス専用の回路とは「打ち解けて心で感じ取る」ことである。妻・夏目鏡子の手記『漱石の思い出』を読むと,鏡子は漱石を精神病者であると信じていた。

「理由なしに女房を憎み,理由なしに子供をいじめ,理由なしに下女を追い出し,理由なしにそこいらの人間に怒鳴り散らす」[3]
「鏡子には,漱石がなぜそう自分を憎むのか,なぜそう肝癪を起すのか,その理由が分からなかった。」[3]


 家族と打ち解けることすら漱石にとっては難事であった。
 一方で漱石はロゴスに執着した。

  「矛盾・撞着が人間であると考えるようにはなっていても,それだけではどうしても満足することができないのである。そこに更に深刻な漱石の悩みがあった。理路を絶したものに支配されるのが人間の常でも,その理路を絶したものが,或る時,或る場合,卒然として己霊の光輝を失墜せしめ,わが身心を秩序なく,系統なく,思慮なく,分別なくしてしまい,人間をただ一気の盲動するに任かせなければならなくしてしまうということは,到底堪えられることではないからである。」[3]
「漱石は,道理ある生活を愛した。従って漱石は道理に戻(もと)る,一切のものを憎んだ。それだけに漱石は,道理に戻(もと)る一切のものを,機微に看破する」[3]


 左右の車輪の極端なアンバランスがピュシスの奥にある甘美な調和にたどり着くことを妨げている原因である。

 右側の車輪の回路不全の背景としてあげられるのは,ガラクタと一緒に小さなザルに入れられ,毎晩四谷の大通りの夜店に晒されていたというエピソードに象徴される生後間もなくの里子時代と,その後に続く10才までの養子時代である。10才で生家に戻ったものの,母・千枝は漱石が15才で死亡している。

 「打ち解けて心で感じ取る」というピュシスの回路を育てることができなかった原因は,幼少時代の両親の愛情不足にあると解さざるを得ない。自己肯定にとって幼少時代の両親の愛情は決定的に重要であり,その不足を左側の車輪で埋めることはできなかったのである。 「「心」,「道草」,「明暗」の三つの作品を通じて,漱石は明らかに「愛」の可能性を探索するより,その不可能性を立証しようとしている。人間的愛の絶対的必要性を痛切に感じながら,それが同時に絶対的に不可能であることを,全ての智力を傾けて描いていた奇妙な男の姿が,これらの作品の行間から浮かび上がって来る。」
「ぼくらの心に感動をひきおこすのは,こうした彼の悲惨な姿である。彼はおそらく救済の瀬戸際に立っている。しかし救済はあらわれぬ。彼の発見した「現代人」というものが,すでにそのような宿命を負わされた人間であった。そして生半可な救済の可能性を夢想するには,漱石はあまりに聡明な頭脳を持ちすぎていたのである。」[4]


「関わるところに生まれるこころ」
「分析家とクライエントの関わり」に焦点を当てる対人関係精神分析学派は,USBに保存されているクライエントのこころをできるだけ客観的に分析して解明するのではなく,セラピストとクライエントが,無意識の底からも相互に深く関わりながら対話を続けることで,その場から生まれてくる体験の意味を明らかにしようとする。[5]
「関わるところに生まれるこころ」という思想を背景とする対人関係精神分析学派は,クライエントの言動を常に「文脈(コンテクスト)」からわかろうとするところに特徴がある。つまり,クライエントが語ることは,分析家とクライエントの関わり,クライエントとクライエントをとりまく人々,環境,文化,価値観といった「文脈」を考慮しないとわからないと考える。
対人関係精神分析学派の分析療法は,まずもって分析家とクライエントが生き生きとした深い関わりを持つことが前提とされており,それがなければクライエントをわかるための有効で良質のデータが得られないとしている。

 「関わるところに生まれるこころ」を共有し,育てることが男女の愛にとって不可欠であることは言うまでもない。漱石のような卓越した左側の車輪(ロゴス)はむしろその障害になる。愛を求めつつピュシスの回路が不全のため,矛盾のみが目につき,その前でたじろぎ,先にある調和(救済)にたどり着けない漱石の姿は,現代人と重なり,今でも読まれている理由もそこにある。

実務における右側の車輪の役割
臨床法学と「関わるところに生まれるこころ」を重視する対人関係精神分析学派は共通の基盤に立っている。実際私達は実務において,右側の車輪の役割を以下の点に見てとることができるのではなかろうか。

①「鏡」
 弁護士と当事者の「関わるところに生まれるこころ」は,当事者に己れを映す鏡を与える。
「このとき鏡で映し出されるものは,ありのままの事実などではなく,心の眼で捉えられる真実なのである。」[6]
 「関わるところに生まれるこころ」の鏡に映った自分を見て,当事者は相対的判断の重要性に気付く。鏡は裁判所の土俵に上った場合のプラスマイナスとは異なる説得力を持っている。

②「腑に落ちる」
 「わかる」「納得する」「得心する」「合点がいく」「腑に落ちる」(「臨床法学試論」第2回35頁)という状態に持ち込むためには,左側の車輪の機械的な当てはめだけでは無理である。矛盾したことが調和的に同居する右側の車輪の力すなわち,「関わるところに生まれるこころ」をくぐらせなければリアリティが生まれず,リアリティを欠いた判断は,「納得する」「得心する」「合点がいく」「腑に落ちる」から遠ざかるからである。

③「道案内人」
 突然降りかかった不幸を乗り越え,再出発するためには,道案内人(弁護士)が必要である。有能なシェルパのような道案内人がついているという安心感を持ってもらうためにも,右側の車輪を回す必要がある。
 「先生のおかげで乗り越えることができた」と依頼者に言われるようにするためには,左側の車輪の適用のみでは不十分である。

④「次の一手」
 突破口(次の一手)は右側の車輪の中から生まれる。当事者との信頼関係を介した当事者の過去と将来への洞察(それを巡る長時間の思考の反芻)が突破口を見つけてくれる。

「事業構造の転換や新しい経営ビジョンの打ち出しにとって美意識が不可欠」 [7]

との指摘にも共通する。論理や合理性(ロゴス)重視の経営では対応できない局面を切り開くのは,直感や内面の美意識(ピュシス)である。右側の車輪は現場における解決策創造の源である。

右側の車輪を回すための訓練
 人それぞれである。ADR委員会が行っている読書会,特に文学書を紐解くことは,社会規範(法律)の学習で固まった私たちの頭脳を柔らかいものにしてくれる。文学は社会規範への反抗とピュシス(人間)の矛盾と調和を本質としているからである。「ピュシスに矛盾はつきもの」。つじつまの合わない話を繰り返す当事者の話に調和的に対応できるようになること請け合いである。
 会員の皆さん,読書会への参加をお待ちしています。

以 上

[1] 朝日新聞2021.6.30「福岡伸一のドリトル的平衡」
[2] 小宮豊隆『夏目漱石(下)』
[3] 小宮豊隆『夏目漱石(中)』
[4] 江藤淳『決定版 夏目漱石』
[5] 一丸藤太郎『対人関係精神分析を学ぶ -関わるところに生まれるこころ-』
[6] 河合祥一郎『謎解き「ハムレット」』
[7] 山田周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? -経営における「アート」と「サイエンス」-』

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