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弁護士手帳
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小野寺信一・畠山裕太の想いを綴ります。
2021/10/05
小野寺

【仙台弁護士会会報No.504(2018年8月)掲載】「なり得たかもしれないもうひとりの自分」

小野寺 信一

 私の故郷は気仙沼の大島。本土とは最も近いところでゴルフのドライバー一振りの距離にある。その場所に架かる橋が来年3月末に開通する。東日本大震災の後,人口が急激に減ったこともあり,小学校の児童数は6学年合わせて70人程度になってしまったが,ベビーブームの第一波の私達は,一学年だけで159名を数えた。
 中学の卒業生のうち男性の半数は卒業と同時に遠洋マグロ延縄船の船員となった。遠洋漁業最盛期の幸運に恵まれた時期でもある。3分の1が島内に,3分の1が島外の気仙沼市内に,残りの3分の1が仙台などに住んでいる。私は残りの3分の1に含まれるが,島内に住む3分の1に含まれて人生を送った可能性もあったのである。なり得たかもしれないもうひとりの自分である。

 数年前いとこの葬儀が大島のS寺で行われた。椿の林の向こうに気仙沼湾が望める大島の南側にある小さな寺で,私の実家の墓がある北側のK寺とは離れている。S寺を訪れたのは18歳で島を出てから初めてであった。
 当時の住職夫婦は亡くなり,現在は親族関係にない住職が跡を継いでいる。住職の読経を聞きつつ,私の頭の中にあったのは(やや不謹慎であったが)映画「ニューシネマパラダイス」であった。
 「先生ともあろう人が観てなかったのですか」と吉岡先生にからかわれつつ勧められ,それまで観ていなかったことを恥じ自称であるにしろ,「映画問題専門家」を名乗らないことにした傑作である。

 第二次世界大戦直後のシシリア島民の唯一の娯楽は映画であった。ロシア戦線で父を亡くし母と妹との家庭で育つ主人公の少年トトは映画に魅了された。映画技師アルフレードから映画の全てを学び成長し,子供ながら映写技師として働き,家計を支えるようになった。年月が過ぎ,若者となったトトは軍隊に徴兵されるが,除隊後村に帰ると映写室には別の男が座っている。落ち込むトトにアルフレードは「島を出てローマに戻れ。帰ってくるな。私達を忘れろ。手紙も書くな。ノスタルジアに惑わされるな。」と言って聞かせる。
 戻ることを禁じられてトトはローマで著名な映画監督となり,アルフレードの葬儀に出席するため30年ぶりに島に戻る。アルフレードとの情愛あふれる交流と映画に興ずるシシリア島民の姿がモリコーネの旋律にのって回想される。
 テレビが普及する以前,大島島民の娯楽も映画であった。畑にいる祖母にねだりにねだって船賃と映画代をもらい,東映の時代劇に夢中になった小学校時代と重なるものがある。だが,いとこの葬儀の時「ニューシネマパラダイス」を頭に浮かべたのはトトが島を離れるもう一つの理由の場面である。
 それは私の大学時代の「ひとりぼっち事件」に遡る。

 今年の3月,私は70歳の古稀を迎えた。石上先生とその仲間たちが中心になって,心のこもったお祝いを開催してくれた。石上先生がパネルを使って私の大学時代を紹介したなかに大島にいる弟から聞き出した大学1年生の時の「ひとりぼっち事件」が含まれていたのには驚かされた。
 マンモス大学の早稲田では,クラスのメンバーが顔を合わせるのは語学の時だけで,授業は200人規模で,定められたコースで動いているだけでは高校までの密な人間関係が生まれず,言葉のハンディや東京生活への不適応も重なり,大学1年の時は常に一人ぼっちだった。法学部に入学したものの,もともと法律に興味があった訳ではなく,楽しそうに談笑している学生達を遠目に見ながら,砂を噛むような法律の授業に出て,夕方になると下宿していた伯母の家にトボトボ帰る日が続いた。
 次第に大学に行くのが億劫になり,朝,伯母の家を出て,池袋の喫茶店で小説を読んで戻るという状態が続き,同じ学部に進んだ高校の同級生には「大学を辞めたい」と漏らすほどになった。
 そうこうしていた2年の6月,大隈講堂の前を歩いていたら,女子学生に「地下で講演会をやっているので出てみませんか」と声を掛けられた。話し方を通じて人間関係の改善を図るという内容の講演であったが,私に声を掛けた女子学生が隣に来て「1年生ですか」と尋ねてきたので,「2年です」と答えたら「2年からでも入りませんか」と誘われ,心が動いた。結局,「早稲田大学言語科学研究会(略して「言研」)」という難しい名前のサークルに入ることになるのだが,その女子学生に誘われてそのまま入った訳ではない。
 その日,講演会の後の授業を終えて高田馬場までのスクールバスに乗って戸塚の交差点の赤信号で停まった時,窓から,講演会に出席した言研のメンバーがインド大使館の前をぞろぞろ歩いてバスに近づいてくる姿が目に入った。「あの連中だ。これは奇遇だ。」と思った時,「バスが出発する前に窓枠から先にこの連中が行ったらサークルに入ろう。バスが先に出発したら入るのは止めよう。」という計画が閃いた。 一行の先頭がバスの発車前に窓枠から先に進み,私の学生生活は一変した。「大学に通う」というより「言研に通う」という生活になった。
 そのサークルで親しくなった法学部の同級生のY君の誘いで卒業後司法試験に挑むことになり,妻を知ったのもそのサークルであった。

 「言研」という居場所を見つけ,大学生活が開花した直後の2年の夏,大島の1年後輩のS寺の長女から手紙が来た。仙台の予備校に通っていることなど近況を綴るものであったが,彼女こそ高校の3年間私の心を独占した女性である。(あくまでも主観であるが)寅さんシリーズ第1作のマドンナ役光本幸子を高校時代に戻し,たような女性であった。彼女の姿を見るため気仙沼港により近い大島の北側の浦の浜港から出る定期船に乗らず,より遠い南側の要害港から出る定期船に乗って高校に通った程であった。
 何かの折に一言二言話し,フォークダンスで手を握ったことがあっただけで,会話らしい会話をしたことがなく,もちろん熱い想いをぶつけることなどできるわけもなく,東京に出てしまったが,高校時代の私の気持ちを承知の上で手紙を出してきたことは内容から読み取れた。連絡をとって会うことにした。
 現在の姿になる前の仙台駅の玄関で彼女に会い,勾当台公園まで歩き,白いブラウスに落ちる木漏れ日の中で長い時間話した。それ以外は記憶に残っていない。彼女と会ったのはその1回だけであった。理由ははっきりしていた。私が「言研」を中心とした学生生活に没頭し,そこにいた一人の女性に心を奪われかけていたからである。

 トトが島を離れた理由の一つは恋人エレナとの再会を果たせなかったからである。駅で見かけた美少女エレナとの初恋を経てトトは軍隊に徴兵されるが,除隊後村に帰るとエレナは音信不通となっていた。トトを島から出そうとするアルフレードの(善意の)画策の結果である。エレナと再会していれば,想いを伝えるために100日間エレナの家の外に立ち続けたトトが島を離れることはなかったであろう。

 インド大使館前のバスがもう少し早く出発し,ひとりぼっち事件が長引き,そこにS寺の彼女からの手紙が来ていれば,闇を照らす唯一の光となったはずである。交際が進み,寺の跡継ぎになることを望まれれば,大学生活に絶望していた私は大学を捨てて本山での修行に出向いたに違いない。一足先に「言研」が闇を消し,島に戻ることを禁じたアルフレードの役割を果たしてくれたことになる。
 いとこの葬儀でお経を唱えていたS寺の住職こそ,なり得たかもしれないもうひとりの自分である。

 70歳を迎えると過去がよりくっきりした姿となり,偶然といういくつもの交差点を経て現在に辿り着いたことがわかってくる。人生の深いところは交差点をどちらに折れたほうが幸せであったかがわからない仕組みになっていることである。
 最近気づいたことであるが,大島での休暇は疲れの取れ具合がまるで異なる。風景と自分との間に一切の夾雑物が入らず,一体化させてくれるからである。橋が開通し,間もなく島ではなくなるが,大島は島に戻らなかった私にも慈愛に満ちた眼差しを注いでくれている。

以 上

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